映画「火だるま槐多よ」 監督:佐藤寿保 主演:遊屋慎太郎,佐藤里穂
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  • 佐藤寿保特集上映「血だるまヒサヤス」もしくは美の男
  • 佐藤寿保トーク上映「血染めのラッパを吹き鳴らせ」ネオ書房@ワンダー神保町

イントロダクション

映画『火だるま槐多よ』は、22 歳で夭逝した天才画家であり詩人の村山槐多(1896~1919)の作品に魅せられ取り憑かれた現代の若者たちが、槐多の作品を彼ら独自の解釈で表現し再生させ、時代の突破を試みるアヴァンギャルド・エンタテインメント。タイトルの由来は、槐多の友人・高村光太郎の詩「強くて悲しい火だるま槐多」である。

”ピンク四天王”と称される佐藤寿保監督が、槐多の代表作である自画像”尿する裸僧”と出会い、槐多の感性に感銘を受け、「現代人の眠っている潜在意識を呼び起こし感応させるのだ!!」と本作の制作を決意。脚本は、『乱歩地獄 / 芋虫』『眼球の夢』などでタッグを組む夢野史郎が担当し、槐多の死後、友人たちの熱望によりデスマスクがとられた事実なども盛り込んだ本作が完成した。

W主演の槌宮朔役には、『佐々木、イン、マイマイン』などの遊屋慎太郎、法月薊役には『背中』で映画初主演を飾った佐藤里穂を抜擢。パフォーマンス集団の元村葉役に工藤景、民矢悠役に涼田麗乃、庭反錠役に八田拳、早川笛役に佐月絵美が集結し、研究施設を脱走した4人を観察する亜納芯役で田中飄、朔を見守る式部鋭役で佐野史郎が脇を固める。

音楽は、ジャンルを越境した破壊力抜群の前衛ビートで国内外で絶大な人気を誇る異端のアーティストSATOL aka BeatLiveと、舞踏や現代美術などとのコラボレーションで国際的な注目を集め、人間環境学博士でもある異色ミュージシャン田所大輔の二人が、それぞれの持ち味で槐多の摩訶不思議な世界を彩った。

あらすじ

大正時代の画家・村山槐多の「尿する裸僧」という絵画に魅入られた法月薊(のりづき・あざみ)が、街頭で道行く人々に「村山槐多を知っていますか?」とインタビューしていると、「私がカイタだ」と答える謎の男に出会う。その男、槌宮朔(つちみや・さく)は、特殊な音域を聴き取る力があり、ある日、過去から村山槐多が語り掛ける声を聴き、度重なる槐多の声に神経を侵食された彼は、自らが槐多だと思いこむようになっていたのだった。

朔が加工する音は、朔と同様に特殊な能力を持つ者にしか聴きとれないものだが、それぞれ予知能力、透視能力、念写能力、念動力を有する若者4人のパフォーマンス集団がそれに感応。彼らは、その能力ゆえに家族や世間から異分子扱いされ、ある研究施設で”普通”に近づくよう実験台にされていたが、施設を脱走して、街頭でパフォーマンスを繰り広げていた。研究所の職員である亜納芯(あのう・しん)は、彼らの一部始終を観察していた。

朔がノイズを発信する改造車を作った廃車工場の男・式部鋭(しきぶ・さとし)は、自分を実験材料にした父親を殺そうとした朔の怒りを閉じ込めるために朔のデスマスクを作っていた。薊は、それは何故か村山槐多に似ていたと知り…

村山槐多について

村山槐多(むらやま・かいた)1896~1919大正時代の日本の画家で、詩人、作家でもある。

従兄の山本鼎(画家)に感化され画家を志し、中学生(旧制)の頃より美術、文学に異彩を発揮。ガランス(深紅色)を多用した独特の生命力に溢れた絵画は、二科展、日本美術院展などに入選し、異色作家として注目されたが、破滅的な放浪生活の末、流行性感冒で1919年2月20日死去。

絵画の主要作に「カンナと少女」「湖水と女」「尿する裸僧」など。
詩集に「槐多の歌へる」(遺稿集)など。小説に「悪魔の舌」など

スタッフ&キャスト

監督 佐藤寿保 (さとう・ひさやす)

監督 佐藤寿保 (さとう・ひさやす)1959年生まれ。静岡県出身。東京工芸大学在学中より8mmで自主映画を制作。卒業後、向井寛主宰の「獅子プロダクション」に参加。滝田洋二郎らの助監督を務める。1985年『狂った触覚』で監督デビュー。同年ズームアップ映画祭新人監督賞を受賞。以後、日常にひそむ狂気とエロチシズムを独特の映像美で描く異色作を連発。その作風はロッテルダム映画祭、ヴィエンナーレ映画祭など海外でも注目され、国内外にカルト的ファンが存在する。『名前のない女たち』(2010)はモスクワ映画祭など多数の映画祭に出品され、カナダのファンタジア映画祭では主演の安井紀絵が主演女優賞を受賞。2014年よりスタートした『華魂』シリーズを経て、2016年、ハーバード大学感覚民族誌学研究所の教授らによるプロデュースで『眼球の夢』を発表し評判を呼ぶ。主な監督作品に、『狂った触覚』(1985)、『オスティア~月蝕映画館~』(1988)、『αとβのフーガ』(1989)、『視線上のアリア』(1992)、『LOVE-ZERO=NO LIMIT』(1994)、『ラフレシア』(1995)、『藪の中』(1996)、『乱歩地獄/芋虫』(2005)、『名前のない女たち』(2010) 、『華魂』(2014) 、『華魂 幻影』(2016)、『眼球の夢』(2016)がある。

佐藤寿保特集上映「血だるまヒサヤス」もしくは美の男


佐藤寿保トーク上映「血染めのラッパを吹き鳴らせ」ネオ書房@ワンダー神保町




遊屋慎太郎(カイタ役)1992年5月31日生まれ。静岡県出身。 モデル活動後に、2015年に映画『アレノ』(越川道夫監督)でスクリーンデビュー。以降、映画『佐々木、イン、マイマイン』(20/内山拓也監督)、『花束みた いな恋をした』(21/土井裕泰監督)、『福田村事件』(23/森達也監督)、『路辺花草』(23/越川道夫監督)などに出演する他、劇団ハイバイの舞台にも出演。遊屋慎太郎(カイタ役)1992年5月31日生まれ。静岡県出身。 モデル活動後に、2015年に映画『アレノ』(越川道夫監督)でスクリーンデビュー。以降、映画『佐々木、イン、マイマイン』(20/内山拓也監督)、『花束みた いな恋をした』(21/土井裕泰監督)、『福田村事件』(23/森達也監督)、『路辺花草』(23/越川道夫監督)などに出演する他、劇団ハイバイの舞台にも出演。
佐藤里穂(薊役)1990年12月18日生まれ。東京都出身。2011年にモデルデビュー、2015年からは俳優として活動。『背中』(22/越川道夫監督)で映画初主演。その他近年の出演作に、『曲がり屋の恋』(21/増田嵩虎監督)『福田村事件』(23/森達也監督)などがある。佐藤里穂(薊役)1990年12月18日生まれ。東京都出身。2011年にモデルデビュー、2015年からは俳優として活動。『背中』(22/越川道夫監督)で映画初主演。その他近年の出演作に、『曲がり屋の恋』(21/増田嵩虎監督)『福田村事件』(23/森達也監督)などがある。
工藤景(元村葉役)・涼田麗乃(民矢悠役)工藤景(元村葉役)・涼田麗乃(民矢悠役)
八田拳(庭反錠役)・佐月絵美(早川笛役)八田拳(庭反錠役)・佐月絵美(早川笛役)
田中飄(亜納芯役)・佐野史郎(式部鋭役)田中飄(亜納芯役)・佐野史郎(式部鋭役)

コメント

  • 村山槐多の「尿する裸像」に魅せられた佐藤寿保監督の熱い想いが若き表現者、俳優たちと呼応し、大正時代と昭和60年代とが重なるかのような熱量を呼び覚まされる映画になるのだろうと、シナリオに目を通していました。

    それは、若き日の自分が目の当たりにしてきた映画や表現とも重なるので、まさに過去と現在を、この世とあの世の橋渡しをする式部鋭役と重なるのだと思い知らされもするのでした。けれど時空を超える感覚は、劇中で若者たちが模索していたように、暗闇の中のスクリーンを通してこそ得られるものなのかもしれません。

    ■佐野史郎(式部鋭役)

  • このところ妙に槐多の話題に接する事が多くなったが、20 年程前に文庫本の表紙絵として描いた「悪魔の舌」の呪いだらうか。

    槐多の絵は様式的にはその時代の産物という感は否めないが「尿する裸僧」は今見てもその異様さは衝撃的である。

    槐多は明らかに自分を周囲から逸脱した特別な存在と感じていただろうし、映画の中に登場する周りから異端視されている Psychics たちはその分身として象徴的に描かれているのだろう。

    誰しも思春期には自我の覚醒とともに自分を過剰に意識する傾向があり、私自身もそんな妄想の中で槐多やシーレに憧れ天才の夭折を夢見ていた。

    映画の中の聖域”AGHARTA“の森の幻想的で美しい情景描写は忘れがちな思春期の頃の特別な感覚を思い起こさせてくれた。

    ■山本タカト(画家)

  • 「火だるま槐多よ」の畏(おそれ)この映画は私にとって、反則であり、禁じ手である。

    四十一年前、鎌倉近代美術館で観た、村山槐多の、自画像、裸婦、樹木、の衝撃は、今もって続いているからである。

    スクリーンから次々と打ちつけてくる槐多の言葉と画は、強烈な時刻の匂いがし、刹那ではあるが、永遠である。

    ■友川カズキ(歌手)

  • 夭折の画家にして詩人・村山槐多の伝記映画かと思いきや、まさかのスピリチュアル・サイキック・ファンタジー!やはり佐藤寿保監督は油断ができない。

    槐多の声を聴いた現代の若者たちが、彼の世界を全身で表現しながら、地底帝国アガルタへと旅立ってゆく。

    槐多作品もふんだんにちりばめられた幻想世界に、心地よい目眩を感じさせていただいた。

    ■山田五郎(評論家)

  • 時代への協調?口当たりの良さ?上っ面の感動?そーゆー罠は全シカトして、「オレはコレをコー撮る!どうだ!」

    佐藤寿保の狂気じみた潔い突きつけに呆れつつ感心。

    ブレねぇーなー。

    ■山本政志(映画監督)

  • 「止まっていることと変わらないことは違う」 今夏、亡くなった PANTA さんが、かつて語ってくれた言葉だ。 佐藤寿保さんの映画も、僕が助監督としてついていた36年も前から、 いっこうに変わらぬ姿勢を貫き、時代の撃ち方を更新し、常に現実を塗り替えてきた。

    今回も村山槐多が夭折のデカダンスとして転生し、現在進行形で、世界の荒れ地へと弾けてくれるに違いない。

    ■瀬々敬久(映画監督)

  • 友達なんかいない。逃げてるけど、どこに行っていいか分からない。

    愛とか恋とか仕事とか普通に生きるとか全然興味ない。なんかムカつく。

    全部うまくいかない。爆発したい。怒りをぶつける。怒鳴る。殴りつける。

    裸になって抱き合う。血のりまみれで愛撫し合う。ただただ美しい。

    考えるな感じろ!美は美なんだよ!

    ■いまおかしんじ(映画監督)


  • 凄い映画を観てしまった。

    「時代の突破を試みるアヴァンギャルド・エンタテインメント」と名づけられているが、決して、かつての前衛映画作品ではない。

    登場人物は「槐多」に取り憑かれた男と女、そしてこの早世した詩人に関心を抱く四人の若者たち。佐野史郎の怪演で異彩を放つ。

    現代の浪漫の端々に丹念に埋め込まれる、槐多の絵と詩と……デスマスク!

    機会があれば是非、御一見をお勧めしておきたい。槐多フリークの貴殿は、特に!百年前に行き急いだ詩人画家が求めていたモノを知るためにも。

    ■東雅夫(文芸評論家)

  • 1980年に2作目の8ミリ映画『明日なき欲望』を撮ったとき、佐藤寿保監督は、画家・詩人の村山槐多が1919年にスペイン風邪による結核性肺炎で夭折したときとほぼ同じ年齢だった。

    『明日なき欲望』は、苦悩、退廃、挫折に満ちた村山槐多の生涯にふさわしい標語でもあるだろう。

    再び猛威を振るったパンデミックの末、日本映画界の異端児が、ソウルメイトである日本美術界の異端児槐多について映画を撮った。

    槐多探しに旅立つ今の若者たちは、欲望を満たす明日があるだろうか?

    ■ローランド・ドメーニグ(映画研究者)

  • 佐藤寿保の傑作がこのような映画になるとは思いませんでした。

    しかし同時に佐藤コスモロジーの総括でもある。

    芸術と生命との関係はなんなのか? 深く傷付いた人はどう生きればいいのか?

    宮崎駿の「君たちはどう生きるか」の現在向け成人系地獄版。

    ■アレックス・ツァールテン(映画研究家)

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